2012年 第7回清成忠男賞 受賞者・受賞論文
<受賞者氏名>岩井 浩一 氏(金融庁)
保田 隆明 氏(小樽商科大学准教授)
<受賞論文タイトル>「わが国の新規株式公開企業の質の変遷」(共著)
<掲載誌名・号・年>『日本ベンチャー学会誌 Venture Review』No.18、2011年
論文
<論文要旨>
本稿では、近年のIPO市場の低迷を「企業の質」の視点から考察する。企業の質を実証的に計測することによって、幾つかの現象が確認された。第一に、IPO企業の質は上場時期によって異なっている。足許では、質の極めて高い企業しか上場できない事態に陥っている。第二に、どの新興市場にも同じような質の企業が上場しており、市場毎の特色は観察されない。第三に、業種によって上場のしやすさに格差がある。上場が容易な業種のなかから質の悪い企業が多数上場してきた可能性もある。第四に、上場後に急成長する企業には共通した特徴があるが、取引所や証券会社は、こうした急成長企業を上手く見出せていない。IPO市場の活性化のためには、証券取引所や証券会社の目利き能力の向上や、IPO企業と投資家の間の情報の非対称性を緩和させる取り組みも必要となろう。
キーワード:新規株式公開、企業の質、上場基準
<Abstract>
In this paper, we examine the relationship between the sluggish IPO activity and the quality of IPO firms. We developed proxies of firm quality and found several interesting phenomena using those metrics; (1) the level of quality differs by the listing timing. Currently, stock exchanges seem never allow low quality firms to go public, (2) we could not observe any difference in firms’ quality on different junior markets, (3) even for firms with the same level of quality, the actual listing criteria may differ by industry, (4) stock exchanges and underwriters seem to fail to identify potential high-growth firms using their listing criteria. We need to mitigate the information asymmetry to revitalize the market.
Key words:IPO, Quality of firms, Listing criteria
<受賞の言葉>
このたびは、このような大変名誉のある賞を頂きありがとうございます。当時金融庁にいた時の岩井浩一さんとの共同論文でありまして、岩井さんは現在、ニューヨークにご勤務ということで、残念ながら本日出席することがかなわず、私だけが参ったという状況でございます。清成先生、審査委員の方々、レフェリーの先生の方々、ありがとうございました。尚、この論文は日本証券経済研究所にて開催された、神戸大学の忽那先生が主査をされましたベンチャーキャピタル研究会の議論を発展させたものでございます。そのメンバーの方々も多数本学会に所属されていますので、この場をかりてお礼を申し上げます。小樽から参ったのですけど、これから北海道は一番いい季節でございます。ぜひお越し下さい。どうもありがとうございました。
<清成忠男氏挨拶>
このたびは大変おめでとうございます。
学会の議論のテーマの内容と、今の状況を踏まえて一言申し上げます。先ほど松田先生から非常に的確なコメントがございました。中国が、いわゆる中進国の罠にさしかかっているのではないかということと、同時に先進国の我が日本が極めて進んでしまった人口減少社会ということです。今、先進国で人口減少社会に入っているのは、ドイツと日本だけです。デフレが人口減少を加速したのも先進国で初めての経験でした。だから、フラットな状況で国際比較というのはひとつの意味はありますが、どうも日本の状況を見た時に調査の課題が残るなというのが率直な印象でした。それにも関わらず、こういうスタートアップの調査がグローバルな調査になっているという状況は、大変歓迎すべきことだと思います。
創業や新規開業の調査は昭和44、45年と46年に中村秀一郎先生と国民金融公庫の調査部によって日本で初めて行われ、その中からベンチャーという言葉が出てきました。それと同時に長銀で、平尾光司さんが中堅企業の調査をして、中村先生がこの調査をつなぎ、議論をふまえてひとつの企業類型としてベンチャーという問題提起をしました。その大本になったのが国民金融公庫の新規開業調査です。私が中心となって行った調査ですが、中小企業庁長官が公庫の会議に出席した際にその報告をしたところ、大変驚かれました。
日本の中小企業は過小過多で過当競争に陥り、劣悪な二重構造の底辺にいる。だから国が数を減らして大規模化するというのが当時の中小企業政策でした。その政策を批判する調査だったわけです。それをもとに私が「零細企業激増は逆行現象か」という論文を経済評論に書いたところ、これが中小企業研究者にショックを与えました。賛否両論、評価が真っ二つに分かれましたが、その時これは新しい現象じゃないかと評価してくれたのが伊東光晴さんや飯田経夫さんなどです。中小企業庁長官はそのペーパーを見て調査課長を呼び、白書の全面書き直しを命じたわけです。私のペーパーから中小企業白書に引用が載り、それが日本の政策を変える一つのきっかけになりました。
今日の講演で、鈴木正明さんが事業機会型と生計確立型という2つの類型を摘出しました。当時の調査でも同じ類型を出していて、メインは事業開発型、生計型は少数派でした。そういう意味で今日の報告というのは非常に関心を持って聞きました。
その後の話ですが、1983年にボン大学のアルバッハ教授という有名な経営学者から、来年中小企業の経営経済学というテーマで経営経済学会の大会を行うから、中小企業のスタートアップ、アントレプレナーシップについて報告してくれないかといわれました。その大会のセッションで私の相棒であったイリノイ大学のヒル先生が話されたのが、大学院の企業家教育についてでした。企業家教育に関する膨大なデータが出て、そのデータを貰って帰ったのですが、そういった教育を日本でやるべきじゃないかということを感じました。
しかし、当時日本ではどこもそのような教育はしていませんでした。日本ではアントレプレナーの育成は中小企業で行っていました。アントレプレナーの先生はアントレプレナーでした。だから何も大学で教えることはなかったのです。当時のアントレプレナーはブルーカラーの世界でしたが、だんだんとホワイトカラーの方に移っていったのが、ベンチャーです。知的レベルが上がっていくとビジネススクールでスキルを教える必要がある。では法政でやろうかということで、1992年に大学院で開講しました。
開講したところ、企業家教育コースは一番志願者が多く、受講希望者が殺到しました。ほぼ同時に早稲田大学で松田修一先生がアントレプレナー研究会を始められて、それがきっかけで起業家教育は全国に広がっていきました。今、私は事業構想大学院大学というところにいます。野田一夫先生が学長で、私が特別顧問をしています。二人で事業構想総論という授業を持っています。
今日の学会のタイトルで非常に気になったのが、企業家が「起業家」になっているということです。シュンペーターの「経済発展の理論」を訳した中山伊知郎先生と東畑精一先生は「企業者」と訳しています。それから、1961年に社会経済史学会の「近代企業家の発生」という報告書も「企業家」です。経営史学会もまた企てるほうの企業家で、「企業家フォーラム」という学会もあります。つまり、企てて構想を立ててからスタートアップを「起業」、業を起こすとするのはいいのですが、その前の段階の構想が大事じゃないか、事業構想学なるものがないと野田先生がいうわけですね。すると文部科学省の大学設置審議会に、学問体系のないものを大学院で教えるとは何事だと言われました。すると野田さんは、それは大学院で体系化すればいいじゃないか、事業構想力を鍛えることを目的にすればいいんだと言ったわけです。とにかく毎週企業家を呼んで来て、議論をして、いかに構想力を鍛えるかということをやっています。
ヨーロッパのベンチャーを調べていくと、アイデアを事業構想にしていくプロセスがだんだん学問体系化されていることが分かりました。そうしたことを大学院教育の教育に導入しながらやっているところです。
今日の議論というのは、非常に有益であったなと思います。改めてこの賞のことも含めまして、御礼申し上げます。